はりま製麺 揖保の糸 歴史

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はりま製麺

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揖保の糸の歴史

揖保の糸は兵庫県手延素麺協同組合が明治39年(1906)年に商標登録した手延素麺です。

 

兵庫県手延素麺協同組合は、明治20(1887)年に設立され、
揖保の糸として生産されたそうめんは全て検査員による格付検査が行われた後、
組合専用保管倉庫に納入されています。

そうめん誕生から現在まで

そうめんの原型は奈良時代に唐から伝来したそうです。
当時は索餠(さくべい)と呼ばれ、小麦粉や米粉に塩などを加えて練ったものを引き延ばし、
縄のように縒り合わせて乾燥したもので、長さが6〜9cmでした。

 

その後、平安時代には細くて長い索餠をつくっていたようです。

 

 

鎌倉時代にはいってからは、現在と同じように麺生地に油を塗り、熟成させ、
棒に掛けて引き延ばして作られるようになり、呼び名も索麪へと変わっていました。

 

そして室町時代に素?となります。

 

 

播磨の里のある播州地方では、600年前から素麺が食べられていたとの記録があるそうです。
江戸時代には、お中元や暑中見舞いとして使われるようになり、
素麺札と呼ばれる商品券も発行されていました。

 

 

当時から播州地方はそうめん作りに適した環境が整っており、小麦栽培が盛んで、
質の良い軟水と、有名な赤穂の塩がありました。

 

しかし、江戸時代にはまだ組織化されておらず、生産者がそれぞれに販売していたため、
価格や量が不安定で知名度も低かったようです。

 

 

明治にはいって組織化が進み、製造基準を決めて製品を統一、
現在の兵庫県手延素麺協同組合の前身となる播磨国揖東西両郡素麺営業組合が
明治20年(1887)に結成されました。 

 

組合名称が揖東西両郡素麺製造業組合に変更されたのち、品質の検査法を定め、
品質によって1〜7等級に分けることで、生産者の技術向上を図り、
市場での評価を高めるようにしました。

 

 

明治39年(1906)には、ついに「揖保乃糸」という名が商標登録され、
全国トップのそうめん産地となりました。

 

全国的な知名度が上がったことから、組合の名称から揖保郡を外して
播州素麺同業組合とします。

 

 

組合区域も揖保郡(現たつの市と姫路市の一部)だったものが宍粟郡(現宍粟市)まで広げ、
昭和5年(1930)には、姫路市に本拠を置く中播素麺同業組合と合併します。

 

この合併によって、日本一の大産地となりました。

 

 

播州素麺同業組合は昭和10年(1935)には
消費市場で手延素麺と機械素麺との混同を防ぐため
機械素麺業者を分離し、組合名を播州手延素麺工業組合に改めました。

 

 

昭和37年(1962)には水車製粉を廃し、大手製粉を取り入れ、
組合の名称を兵庫県手延素麺協同組合に改称。

 

昭和51年(1976)には、分裂していた3組合を吸収合併し、
播州手延素麺の商標を「揖保乃糸」に一本化しました。